金子光晴のおかげ(せい)で

 金子光晴のおかげで日本を飛び出した。

『どくろ杯』を読むきっかけは、開高健の『人とこの世界 』であった。

開高健は金子光晴について次のように書いている。

「彼は全体として見わたすと、クラゲのような、ナマコのような、酔っ払いのような、聖者のような、道化者のような、哲学者のようなやつ。 バラの花を歌っているかと思うとウンコをうたいだす。 ごろつきで、大学者で、手におえないカンシャク持ちじいさんで、強気と弱気、優雅と蛮勇、きょごうとひるみ・・。 しかし彼は、大旅行から帰ってきたスフィフトであった。 肉声の批評がそのまま美になるという、しかもそのコクのあるバッチリとパンチのきいた、 中野重治風に言えば、”もっぱら腹のたしになる”ところで、現代日本では稀な高さに到達したスウィフトであり、ヴォルテールであった。」


こんな書かれ方をされたら、読まずにはいられない。

そしてその金子光晴の『どくろ杯』は、 こんな書き出しで始まる。

「みすみすろくな結果にならないとわかっていても強行しなければならないなりゆきもあり、 またなんの足しにもならないことに憂身をやつすのが生き甲斐である人生にもときには遭遇する。」


真剣に読んだ青二才はその気になって我が身を外に投げ出した。

初めての海外をアフリカで迎え

ケニアの中国大使館でVISAを取り、

(当時は日本から中国へは直接入国することができませんでした。)

キリマンジェロでの凍傷治療を兼ねて北京へ。

戦後間もない東京のような街並みに沈没し、

かくして東証一部上場会社の入社式を捨てることとなる。

その後は見るも無惨、哀れ、世捨て人…。

何を間違えたのか2年間、 日本と海外との生活を繰り返すヒッピー野郎と化してしまうのである。

金子光晴おかげ(せい)で。

よくもまぁ、あんな本を書いてくれた。

金子光晴さん、 会って1杯飲んでみたかった。 


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