ヘミングウェイには、複雑な愛着がある

マサイの村を出る決心は、ヘミングウェイのおかげ(せい)だった。

毎日、ジャンボ、アサンテ、ハヤケショ…。牛の糞集め。

スワヒリ語と牧畜を学ぶために来たのではないから、疲れきっていた。

村を出る前、一番綺麗な女性から、「トゥキジャアアリワ」と声を掛けられた。

よくわからなかったが、「いつかまた」と言われた気がして嬉しかった。

後から、調べたら、”神の思し召しのまま”ということ。

それで、ホントにそんなことになった。

ヘミングウェイのせいで...。


日本を出る前に、数冊の文庫本をリュックに入れておいた。

その中にある短編集の1話が、『キリマンジャロの雪』である。

最初にこの短編を読んだのは、小学6年だったような気がする。

キリマンジャロは標高約6000メートルの雪におおわれた山で、アフリカの最高峰である。

西側の山頂はマサイ語で「ヌガイェ ヌガイ」、神の家と呼ばれている。

その「神の家」近くに、一頭の干からびた豹のしかばねが凍りついている。

豹がこんな高地に何を求めてやってきたのか、理由は誰にもわからない。

ヘミングウェイが『キリマンジャロの雪』を書いたのは、1936年の37歳のときである。「エスクワィヤ」に書いた。


“ ハリーは呟いた。「おれがいままでに一度もなくしたことのないたった一つのものは、好奇心なんだよ」

「見ると前方に視界をさえぎって、全世界のように幅の広い、大きい、高い、

陽光を浴びて信じられないくらい純白に輝いているキリマンジャロの四角ばった山頂がそびえている。

そのとき彼は、自分の行くところはきっとあそこだなと思った」”

これで、話が終わる。


私は何を血迷ったか遠い昔に感じた何かを思い出し、その気になった。

「厳しい散歩に出なければいけない、Uhuru Peak まで」

バカなヤツである。

雨の日、カブに乗ったおじさんが着ていたカッパと新聞紙が防寒具だった。

Kibo Hut はすでにマイナス1°、Uhuru Peak は、マイナス15°まで下がった。

高山病と寒さで、マサイ村での燦々たる太陽を思い出し続けた。

「何でこんなことするのよ、日本出る前から準備しなよー」

先をゆくガイドを見る度に、その先にある頂上よりも、

彼の着ていた分厚いダウンジャケットしか視界になかった。

あれさえあれば...。

何をやるにせよ、準備することの大切さを我が身で味わった。

ホント、厳しかった。(笑)


登頂後の下山途中に Horonbo Hut 辺りで見つけた花。

元から枯れているような高山植物。

いけないことと躊躇しながらも、この花をTシャツにくるんでもって帰ってきた。

黄熱病/破傷風/コレラの予防接種カードを提出した後、入国前の最後の関門。

通関職員には風体からして怪しく思われている。きっと...。

そして、数ページに渡り押されているパスポートのくねくね文字のハンコの山で決まった。

全てを広げられた。

あー、

Tシャツをほどかれたとき、何て返せばいいのだろう…と思っていたが、

ベージュ系に枯れた元は白いTシャツを触ろうとしなかった...。

意図としない行為で、神:ヌガイに救われた。

ラッキーだった、もう二度としないと誓った。


以上、20代前半の遠い昔の思い出を真剣に思い返しました。

前回投稿した万年筆の話を借りれば、

モンブラン「ヘミングウェイ」には、

モンブラン「 Meisterstück 139」よりも、複雑な愛着がある。

ということ。


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